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ASANOマイスターの矜持 技術の見える化 プロジェクトH 新本社ご案内

技術の見える化 プロジェクトH ハノーバー・メッセ出展に向けたモノづくり Vol.3 佐々木 保彦 製造部 アセンブリーパーツグループ溶接技術担当

  • 1.F1を夢見て 親の反対と募る想い
  • 2.夢を叶える 自動車レースを仕事に選ぶ
  • 3.部品製造の世界へ 勘違いを乗り越える
  • 4.再び自分の手でF1カーを 自利利他の心構え
  • 5.微差を読む 喜びは思い通りの寸法の実現

イントロダクション

1.F1を夢見て 親の反対と募る想い

石といえば近代製鉄業発祥の地として知られる。日本有数の漁場である三陸沖と美しいリアス式海岸でも有名だ。佐々木が生まれ育った場所である。少年時代から工作が好きだった。牛乳パック、たまごパックといった身近な材料でモノづくりに勤しんだ。当時から図面を見ずに作りながら考えていくのが佐々木のモノづくりの流儀であった。

釜石では佐々木が中学生になって初めてフジテレビの放送が始まった。目当てはF1レースの実況中継であった。アイルトン・セナ*1が全盛期で、中嶋悟*2が引退を迎える頃の話だ。多感な少年が影響を受けない筈はない。F1を夢見た少年は、レーサーよりピットでコンマ1秒を競いタイヤ交換に奔走するメカニックになる志を胸に秘めた。

高校進学を迎える頃、生来のモノづくりの夢、そしてF1メカニックへの憧れが募り、工業高校への途を模索したが親の説得で断念した。親が苦労した分、「息子には普通科の高校から大学に進学して欲しい」という親の気持ちにさすがの佐々木も当時は頷かざるを得なかった。

進学したものの行動派の佐々木は気持ちが抑えきれられず、テストで目標点数を獲ることを条件に、学校で禁止されていたアルバイトの許しを先生に請うた。実際、自動車整備工場にアルバイトの応募をしたものの、先方に丁重に断られ、それがまたF1メカニックへの夢をますます募らせた。夢に一歩近づいたのは高校卒業後のことであった。

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*1
ブラジル出身のレーシングドライバー。1980年台後半から1990年台前半に3度のワールド・チャンピオンに輝く。
*2
日本人初のF1フルタイムドライバーでアイルトン・セナと同時期に活躍し1991年を最後に引退した。